松浦果南について

アニメの松浦果南さんの話。2期が始まる前にまとめておきたかったやつです。

 

 

この文章の要旨は以下の通りである。

・廃校阻止の成否は鞠莉の将来に一切関係しない

・9話までに果南が得たものは“鞠莉の想い”のみ

・アニメ全話を通して果南のスクールアイドルへの価値観に特に変化は生じていない

 

 

まず前提として、8話までにおよそ想定されていた、そして鞠莉が幻視していた「松浦果南」像を描写する。極力劇中からのみ考えられることを記述しているが、人により相違点が認められる場合がある。なお、『』内は劇中の台詞をそのまま引用したものである(以降同じ)。

 

「1年生の果南は学校を廃校から救うべく、ダイヤとともに鞠莉を誘いスクールアイドルAqoursを結成した。やがて東京のイベントに呼ばれるものの、果南は『他のグループのパフォーマンスのすごさと、巨大な会場の空気に圧倒され、何も歌えなかった』。そうしてスクールアイドルに挫折した果南は、Aqoursの活動を終わらせることに決めたのだった。

2年後、3年生になった果南は今もその傷が癒えないまま日々を過ごしている。スクールアイドルで廃校を阻止することは荒唐無稽な試みであると考えているため、千歌たちの活動も内心快く思ってはいない。本人の目の前でそのことを言うことはないが、2年前の経験からスクールアイドルに可能性を感じられなくなっている果南は、千歌たちがいつか折れてしまうことを心配し、8話で鞠莉に対し『外の人にも見てもらうとか、ラブライブに優勝して学校を救うとか、そんなのは絶対に無理なんだよ』と言い放つ。

まとめると、果南は過去の失敗をトラウマとしてスクールアイドルを避け続けている」

 

  • 1.9話で生じた「矛盾」と、それに対するひとつの解釈

しかし9話、果南は東京のイベントで空気に圧倒されて『歌えなかった』のではなく、敢えて『歌わなかった』のだとダイヤの口から語られた。その理由は、当時足を怪我していた鞠莉を庇うためだったという。

 

本当にそうだろうか。

 

前に書いたとおり、果南は8話で「スクールアイドルで学校を救うことは無理」という趣旨の発言を残している。その発想に至る過程には『歌えなかった』自身の挫折経験が密接に絡んでいるはずであり、だからこそ果南は過去の自分たちと同じ轍を踏んでしまった千歌たちをけしかけた鞠莉に対し、『ダイヤから聞いた、千歌たちのこと。どうするつもり?』と責める。2年前に同じことで失敗したでしょ、鞠莉もこうなるってわかっていたはずでしょ、と。

しかし、ダイヤの言うように果南が『歌わなかった』とするならば、彼女のこの言葉からは途端に説得力が消え失せてしまう。『歌えなかった』という事実が消えた瞬間、「千歌たちの道の先には絶望しかない、失敗して私たちみたいに傷つく前にやめさせるべきだった」という論理は破綻してしまった。なぜなら、果南は「そもそも挫折などしていなかった」のだから。つまり、『そんなのは絶対に無理なんだよ』と語るに足る根拠を果南は持っていなかったことになる。

 

8話と9話との間で発生した「矛盾」としてしばしば言及される事例は、果南に限って言えばそのほとんどがおそらくこの問題に関する話だと思われる。この辻褄を合わせるには、「会場の空気に圧倒されたことは、多少なりとも事実である」とするのが手っ取り早い。

つまり、東京に集ったスクールアイドルの圧倒的なパフォーマンスを見た果南は、これまで抱いていた自信を喪失するくらいには大きな衝撃を受けてしまった。そして自分たちの活動に疑問を持ち始めた果南は、鞠莉の怪我も鑑みて最初からパフォーマンスをすることを放棄した。この経験を踏まえ「私たちのレベルではスクールアイドルを続けても意味がない、学校を救うことは無理だ」という発想に行き着いた果南は、ダイヤとも相談して「このままでは自分たちのせいで、鞠莉から未来のいろんな可能性が奪われてしまうのではないか」という懸念を持つに至り、Aqoursの活動停止を決定した(9話冒頭)、という筋書きである。つまるところ、果南は『歌えなかった』し『歌わなかった』ということになる。

もしこのようであるなら、果南のスクールアイドルへの挫折経験はこれまでと変わらず保証されるため、8話の海軍桟橋での発言に(これまで想定されていたものと同じ)説得力を付与することができる。『誰かが傷つく前に』の「誰か」も、これまでの予想と同じように千歌たち新Aqoursの6人を指していると考えられる。ダイヤが9話で『わざと歌わなかった』と語ったのは、果南の不器用な思いやり、鞠莉を想う気持ちを鈍感な鞠莉に気付かせるためだとすれば説明は付くだろう。

 

一見筋の通った話のようにも思えるが、しかしこの解釈にも疑問が残る。

 

  • 2.生まれる新たな「矛盾」

1.で説明した果南の考えの底には「挫折」がしっかりと結びついている。勿論、8話までに匂わせてきた果南の「挫折=圧倒されて歌えなかった経験」の示唆を覆した9話の種明かしを「矛盾」と捉え、果南のこれまでの行動を説明するには「挫折」が必須要件であると前提して話を進め、整合性を取ろうとしてきたからだ。

 

しかし、これでは説明のつかない台詞が9話に存在する。弁天島頂上、『今は後輩もいる』と周りを巻き込んででも果南を奮起させようとした鞠莉に対し、果南が言い放った『だったら、千歌たちに任せればいい』という言葉だ。そんなにスクールアイドルに拘るのなら、千歌たちにスクールアイドル活動を任せればいい、千歌たちに学校を救わせればいい、と果南は言う。

 

もし果南が「挫折」を経験していた場合、こんなことを言えるはずがない。

 

なぜなら、既に8話で千歌たちの行く末を懸念し鞠莉を責めた果南は、『ラブライブに優勝して学校を救うとか、そんなのは絶対に無理』だと宣言しているからだ。「絶対に無理」な戦いに挑んで敗北した千歌たちの話を聞いているのにもかかわらず、その千歌たちにスクールアイドル活動を任せて廃校を阻止させておけばいいと言い捨てるのは些か考えづらい*1。それに、そもそも『誰かが傷つく前に』の「誰か」は千歌たち新Aqoursを指していたはずで、果南はこれ以上千歌たちに辛い思いをさせたくないがために鞠莉を非難しに来たはずであり、失敗することが目に見えている千歌たちのスクールアイドル活動を推奨するような素振りを見せるわけがないのだ。

 

  • 3.果南は本当に「挫折」していたのか

とはいえ、4話然り*29話然り*3、「挫折」を経てスクールアイドルに希望を見出せなくなっていたはずの果南は、時折千歌たちのスクールアイドル活動を応援しているような言動を取ることがあった。アニメ世界の外側にある考えを論拠とするのはセオリーに反するかもしれないが、ここで果南の声を担当する諏訪ななかさんの果南評を取り上げてみることにする。

諏訪「果南も、千歌たちがスクールアイドルをしているのを聞いてはいたけど、自分の過去のこともあって、なかなか表立って応援できなかったしね」

声優アニメディア 2016年11月号 p45)

勿論諏訪さん自身が一言一句同じ文言を語ったという保証はないが、「表立って応援できなかった」という表現は目を引くものがあるだろう。つまり果南は最初から千歌たちのスクールアイドル活動を応援するつもりでいたのか、と、しかも「表立って」とはどういうことか、誰かにその応援の意思を隠さなければならなかったのか、と。確かにそうであれば、千歌たち2年生の前でだけ『ま、がんばりなよ』『練習、がんばってね』と言葉を投げかけていた果南にも納得が行く。「過去の自分と同じ絶望に身を浸しかけている千歌たちを苦い思いで見つめる松浦果南」は、おそらく諏訪さんの中には存在していないように思える。

果南の「挫折」について考える上で印象的なのは12話、東京から帰る電車内で口にした『私は、学校は救いたい』という台詞だ。何度も引用した、8話で鞠莉に浴びせたネガティブな言葉と真っ向から対立する思いであることをまずは認識したい。つまり、少なくとも12話の果南は「スクールアイドルで廃校を阻止できる」ことに疑いを持っていないのである。ここで問題となるのは、新Aqours加入前後における果南の心境の変化の有無についてだろう。具体的には、「果南は“スクールアイドル活動に再び希望を見出した”から新Aqoursに加入したのか」ということだ。新Aqoursに加入してからの10話以降、他の8人と同様にAqoursの活動を楽しんでいるように見える果南だが、そもそもなぜ彼女はあれほど拒否し続けたスクールアイドル活動、そしてAqoursをやり直すことに決めたのだろうか。

 

  • 4.なぜ果南はスクールアイドルを終わりにしたのか

それを考える前に、時系列を追ってもう一度2年前の果南の心を洗い出すこととする。第一の問いとして、果南はなぜスクールアイドル活動、Aqoursを辞めることにしたのだろうか。当然、鞠莉の将来を案じたがためである。3年生の在り方を考える上で、10話で『あなたの立場も、あなたの気持ちも、そして、あなたの将来も。誰よりも考えている』と慈しみ深く語ったダイヤを偽とする命題は成り立たないだろう。まずはこの大前提を共有しておきたい。

第二の問いとして、果南はなぜ自分がスクールアイドルを辞めることが、鞠莉の留学に繋がる要因足り得ると考えたのか。それを突き止めるには、1年生時分の果南の視界をまずは把握する必要があるだろう。可能な限り作中から読み取れる範囲内で2年前の果南を以下に描写するが、違和感や齟齬が認められるかもしれないことは前に述べたとおりである。

 

「果南は廃校を阻止すべく、ダイヤと一緒に鞠莉を誘いスクールアイドルAqoursを始めた。その活動は順調に進み、Aqoursは東京のイベントに呼ばれるまでになった。しかしその一方で、鞠莉が『留学や転校の話があるたびに全部断っていた』ことに果南は気付いていた。『そんなとき』、果南は『もし向こうで卒業すれば大学の推薦だって』貰えるかもしれない留学の誘いすらも擲ち、『私、スクールアイドル始めたんです。学校を救うために』と意気揚々と話す鞠莉を見かけてしまう。それを決定打として、果南は「鞠莉は自分の将来のために留学すべきだ」という考えを固める。そして、東京のイベントに参加した果南は鞠莉の足の怪我を鑑み、何も歌わずにステージを棄権した。内浦に戻った果南は鞠莉に『行くべきだよ』と留学を勧めたのち、Aqoursを『終わりにしよう』と提案したのだった」

 

ここから窺い知れるのは、果南は心の中で「私がスクールアイドルに誘ったせいで、鞠莉から将来の可能性が失われてしまう」と決め込んでしまったのではないかということだ。

 

それまでは朧気な不安視、それこそ「鞠莉、留学とか転校とか断ってるけどいいのかな」という程度の些細な心配だったのかもしれない。それでも、職員室での会話を聞いてしまった果南は決定的に自覚することとなる。つまり、「鞠莉が留学を断っているのは自分のせいだ」ということにはっきり気付いてしまったのだ。もしかすると、閉ざされた内浦の淡島で、海と空と山とその他には何もない小さな島でずっと過ごしてきた果南にとって――ダイビングショップの実家を継ぎ、高校卒業後も内浦で暮らしていくことに何の疑問も抱いていなかったはずの果南にとって、“大学”という言葉はあまりにも自分から遠すぎたのかもしれない。とにかく、一気に現実感に襲われた果南はこの留学だけはなんとしても行かせなきゃならないと思い詰めてしまったのだろう。少なくとも、『ご両親も先方も是非っておっしゃってるの』と鞠莉の説得を図る先生の熱心な声音は、果南に「やっぱり、鞠莉は私とは違う世界に生きている人なんだ」と改めて認識させるに足る出来事であったと推測される。

 

ここで重要なのは、「スクールアイドル活動による廃校阻止の成否は、鞠莉の将来にまったく関係しない」ということである。

 

当然だ。浦の星女学院の廃校が取り消されたところで、鞠莉が留学に行く理由には一切ならないからである。むしろ学校が存続することで、鞠莉の貴重な高校生活がこの場所で終わりを迎えてしまいかねない。果南の願いは今や「廃校阻止」ではなく「鞠莉の将来が拓かれること」にある。学校を救うことよりもスクールアイドルで輝くことよりも、鞠莉が広い世界へ羽ばたき幸せな人生を過ごすことこそが、果南にとっての幸せだった。だからこそ、果南は『離れ離れになってもさ、私は鞠莉のこと、忘れないから』と来るべき別れを示唆していたのだ。

さて、そのために自分はどうすべきか。選択肢はただひとつ、鞠莉をこの地に留めている元凶たるスクールアイドルを終わらせ、Aqoursの活動を停止させるほかなかった。勧誘した当人の自分が自らスクールアイドルを拒否することで鞠莉をもそこから遠ざけ、それよりも遥かに有意義だと信じた留学へ行かせようとしたのである。長くなったが、これが第二の問いの答えとなる。『ダイヤも同じ意見』から窺えるように、事前にダイヤに根回しを行ってまで、自分とダイヤが脱退することはもはや不可避であると鞠莉に突きつけ、Aqoursというグループを完全に瓦解させ鞠莉の闘志の拠り所を失わせることが果南の目的だった。そうした果南の身を切る想いが功を奏し、浮かぬ表情の鞠莉は留学に向かうこととなった。

ここからは完全に想像でしかないが、果南は東京のイベントで鞠莉の足の怪我を考慮して歌わなかっただけではなく、あの大きなステージを「鞠莉に失敗を味わわせるための舞台」として使ったのかもしれない。つまり、パフォーマンスの強行による鞠莉の怪我の悪化を回避しつつも鞠莉の志を摘み取るために、大舞台を迎えた自分が自信を失ってしまったことを印象付けようとした可能性である。自分が最初に誘ったのだから、その本人が最初にやる気を無くしてしまえば鞠莉も諦めるだろうと考えたゆえだとすると、この行動も腑に落ちるのではないだろうか。2年前も現在も、果南は「私はスクールアイドルはやらない」と明言することで鞠莉からスクールアイドルを排除しようとしていることからも、その思考回路に不自然な点は見受けられないように思われる。

要点としては、果南は一貫して「鞠莉にスクールアイドルへの気持ちを捨てさせるために行動していた」ということである。また、『歌えなかった』という「挫折」はその目的を達成するための演出のひとつであった可能性がある。

 

  • 5.果南は「挫折」などしていなかった

時系列を戻す。そうした果南の想いに反し、鞠莉は留学先で卒業することなく課程を2年で終えて内浦に舞い戻ってきた。そして初めて2人のやり取りが描写された4話を経て8話、1.でも取り上げた海軍桟橋のシーンが訪れる。千歌たちの惨状を聞きつけた果南が鞠莉を呼び出し、同時刻の千歌たちの様子を挟みつつその判断を責める場面だ。

1.では、この会話に立脚して「果南は多少なりとも挫折を経験していたはずだ」という旨の主張を展開した。しかし、1.のロジックでは新しい矛盾点や相反する点が見出されるということは2.と3.でそれぞれ示したとおりである。そして4.では、当時の果南の胸中を追いながらスクールアイドルを終わりにするまでの果南の行動指針を示したが、その角度からもう一度8話の会話を捉え直してみる。

4.で述べたとおり、留学が明るい未来をもたらすと信じていた果南は、それを実現すべく鞠莉の戦意を喪失させることに腐心していた。職員室での会話を耳に挟んだ時点で、我の強い鞠莉に口先のみで留学を勧めたところで簡単に心変わりをするわけがないことを誰よりもわかっていた果南は*4、鞠莉が今スクールアイドルに傾けている情熱を黒く塗り潰すことで、鞠莉から留学に向かう以外の選択肢を奪い去った。そして3年生の現在、それでもなお折れることなく戻ってきてしまった鞠莉に対し、果南はかつて『もう続けても、意味がない』と語ったあのときを想起させる沈痛な表情を浮かべ、『そんなのは絶対に無理なんだよ』と、あのときと同じようにスクールアイドルを諦めるように迫ったのが、8話の海軍桟橋の一幕である。

 

ここにおいて、果南の「挫折」はまったく焦点ではない。

 

なぜなら、果南が自身のスクールアイドルへの絶望を露にしたのは、自分たちの過去を踏まえ「傷ついた自分を守りたかったから」というのが理由ではないからだ。果南がそうしたのは、輝かしい未来の可能性を放り投げてまで再び故郷の土を踏むことを選択した、鞠莉のスクールアイドルへの不屈の信心を今度こそ徹底的に刈り取ることで、「鞠莉の将来を取り戻したかったから」に他ならない。2年前も私たちは『歌えなかった』、千歌たちだって失敗した、だからやっぱりスクールアイドルなんて諦めるべきなんだ、と伝えたのは決してスクールアイドルに「挫折」した自分を正当化するための言葉ではなく、スクールアイドルに身を捧げ自ら未来を捨てようとしている鞠莉を救い出すための言葉だったのである*5

もしかすると、果南は鞠莉にもう一度留学に向かってほしかったのかもしれない。あるいは違う学校で、将来に向けた研鑽を積んでほしかったのかもしれない。明確なビジョンは不明だが、果南のそんな不器用な気持ちが窺えるのが9話、教室で鞠莉と取っ組み合いの喧嘩を繰り広げたときに口にした、『鞠莉には他にもやるべきことがたくさんあるでしょ』という言葉だ。鞠莉はこんな場所でスクールアイドルやってる暇なんかないでしょと、鞠莉の未来に広がる無限の可能性を信じる果南の本心がふいに零れた瞬間だった。

 

では挫折がカモフラージュであったとするならば、海軍桟橋を去る間際に果南が呟いた『誰かが、傷つく前に』とはいったい誰を指していたのだろうか。1.と2.では「千歌たち新Aqours」としてきたが、実はここには致命的な時系列のズレがある。どういうことかというと、果南はダイヤから千歌たちの結果を聞いたために鞠莉を呼びつけたわけだが、そのときには既に千歌たちは東京でのパフォーマンスを終え、その絶望的な結果とともに内浦に帰ってきている。要するに「千歌たちは既に傷ついている」わけで、「千歌たちが傷つく前に」という示唆は最初から成り立たないのである。となると、果南の視点においてまだ「傷を負っておらず」「これから傷つこうとしている」人は誰か、という疑問が生まれる。答えは簡単だ。

 

その人物は、スクールアイドルに拘泥し素晴らしい未来の可能性を再び失いそうになっている、鞠莉自身に他ならない。

 

スクールアイドルばかりに目を向けて将来のことを全然考えてない鞠莉は、いつかきっとこの先後悔する。私たちのせいで、鞠莉の人生が台無しになってしまうことだけは絶対に防がなきゃいけない。そうした想いがあった果南は2年を経たあの瞬間でさえも、かつてと同じように鞠莉の眼中からスクールアイドルを消し去ろうと必死だったのである。

 

以上をまとめる。まず、果南はスクールアイドルに挫折などしていなかった。果南は、壊れそうになっている鞠莉の未来を守るために、間違った道を歩もうとしている鞠莉を在るべき場所へと連れ戻すために、発起人たる自身の「挫折」を理由に鞠莉を縛り付けたままのスクールアイドルを拒み続けていたのである。果南の言動における「矛盾」と称した点は、これらを以って解消されたはずだ。

ここでようやく、3.で提起した問いに戻ることができる。「挫折」が取り払われた今、果南にとってスクールアイドルとはどういったものだったのだろうか。9話、鞠莉はこれまでと変わらず留学も転校もすることなく、新Aqoursに加入して活動していくことを選び取った。それなのに、果南はどうして鞠莉とともにAqoursを再開することに決めたのだろうか。

 

  • 6.果南がスクールアイドルをやり直すまで

9話の後半に至るまで、果南は鞠莉に対し真っ向からスクールアイドルを否定する姿勢を貫き続けた。それが覆されるのが、雨の降る中鞠莉に呼び出された先の部室の場面だ。感情を露にする鞠莉の言葉を聞いたあの瞬間、果南は「鞠莉ではなく自分を縛っていた」スクールアイドルの鎖から解放される。果南と鞠莉のすれ違いの要が明らかになったシーンである。

すれ違いの原因はこうだ。前項までに見てきたように、鞠莉が戻ってきてからというもの、果南はずっと「自分のせいで、鞠莉はスクールアイドルに固執している」と思い込んでいた。東京で敗北を喫した経験を通し、鞠莉をスクールアイドルから引き剥がそうとしたことが逆に鞠莉のハートに火を付け、ついには仇となってしまったというやるせなさに苛まれていたのだろう。これが果南の勘違いであり、だからこそ果南は3年生になった現在でもなお、それでもまだ間に合うのかもしれないならと、鞠莉の要求を意固地に拒絶していたのだった。

そんな果南だったが、『果南が歌えなかったんだよ?放っておけるはずない!』という鞠莉の激情を受け取ったことで、ようやく自分が大きな思い違いをしていたことに気付く。つまり、「鞠莉がスクールアイドルに拘っていたのは、負けが悔しかったからとか廃校阻止に燃えていたからとかじゃなくて、全部私のためだったんだ」ということを知ったのである。鞠莉はスクールアイドルのことしか頭にない、と思い込んでいた自分が誰よりもスクールアイドルに囚われていたことを自覚した果南は、「挫折」して傷ついた自分を助け出すために新しい成功の記憶で過去を上書きしようとしてくれていた、鞠莉の一途な想いをやっと正面から感じ取ることができた。だからこそあの言葉は鞠莉の“不器用な告白”足り得るわけであり、それゆえに果南はその気持ちに対し、幼い頃から鞠莉とずっとそうして心を交わしてきた“ハグ”で応えたのである。

まだカタチもわからない将来よりも、大切な人たちと過ごす今の方が大事だと思えたのかもしれない。「鞠莉には私とは違う未来がたくさんあるから」と、ひとりで勝手に置いてしまった遠い距離を飛び越え、自分を選びに来てくれた鞠莉の“告白”を抱きしめたことで、「本当は私も鞠莉と一緒にいたかった」という本心に気付いたのかもしれない。とにかく、もはやスクールアイドルを拒む必要が無くなった果南は、かつて夢半ばで眠りについた未熟DREAMERの衣装に袖を通し、Aqoursとしての復活を果たす。そうした訳のひとつには、誰よりもスクールアイドルが大好きだったダイヤを、自分のエゴで2年間も振り回し続けたことへの贖罪もあったのだろうと思われる。自分の独りよがりなわがままのせいで長い間“好き”を我慢し続けずっと無理してきたダイヤを、本音を言わず一緒に迷惑をかけてきた鞠莉と2人で“ハグ”してみせた、未熟DREAMERという歌そのものがその証左である。そしてなによりの理由は、もっと根源的でシンプルなものだろう。

 

結局のところ、果南もただ単純にスクールアイドルを諦めきれなかったのである。

 

 『私たち、もう3年生なんだよ』『卒業まで、あと1年もないんだよ』――まるで、時間があればやっていたとでも言うような台詞とともに勧誘を固辞する果南のその姿は、抗うことのできない絶対的な時間の流れを半ば自分に言い聞かせているようですらあり、少し逸れたその返答からはスクールアイドルへの隠しきれない未練が顔を覗かせている。そしてそれは、体育館で優雅に舞っていたダイヤを想起させるような、弁天島の頂上を舞台にひとり踊る9話の果南自身によって証明される。鞠莉の未来のために夢を諦めた果南と、その心持ちに付き従ったダイヤの大人びた愛情は、畢竟他でもない自分たちに満たされない空白を残すだけの不完全な想いだったのだ。

 

  • 7.果南から見た「スクールアイドル」

こうして鞠莉とのすれ違いが解決した果南は、晴れてAqoursとしての日々を取り戻す。すぐにそう出来たのは、無論「挫折」していたわけではないからだ。これまでの物語において、スクールアイドルとしての在り方に気持ちを動かされた梨子や善子、スクールアイドルの楽しさに徐々に惹かれていった花丸などとは違い、こと果南に関してはこうしたスクールアイドルそれ自体への価値観の劇的な変化は一切発生していない。果南は1話から終始スクールアイドルという概念そのものに負の感情を抱いていたというよりも、自分たちがスクールアイドルに誘い入れたせいで鞠莉をこの場所に縛り付けてしまった、というある種身の丈を超えた自責に陥っていたのであり、その苦しみから解放されたことをきっかけに、実際は心の奥底で渇望していたスクールアイドルの輝きにもう一度手を伸ばそうとするのはまったく不自然ではない。つまり、果南は「スクールアイドルにもう一度可能性を見出したから」新Aqoursへの加入を決定したのではなく、果南と同じ世界に居たいという“鞠莉の想い”を得たことで、ただ「スクールアイドルへの気持ちを抑える必要がなくなった」だけにすぎないのである。

このような果南の心情は12話、『私は、学校は救いたい』という言葉に表れている。ここまで見てきたように、果南はスクールアイドルの素晴らしさを誰かに説かれたというわけでもなく、失敗から立ち直り活動を楽しく感じられるようになったというわけでもないまま、さもそれが当然であるかのように「廃校阻止」を目標と宣言する。それは誰に言われるまでもなく、学校を救うことのできるスクールアイドルの力を初めから信じていた人の言葉だ。だから、9話の果南は鞠莉に隙を与えないようにスクールアイドルを否定しながらも、『だったら、千歌たちに任せればいい』と廃校阻止に奔走する幼馴染たちの活動を暗に肯定できたのだろう*6

 

気になるのはその後、『けど、Saint Snowの2人みたいには思えない。あの2人、なんか1年のころの私みたいで』という台詞だ。A-RISEやμ'sのすごさを知るためには『ただ勝つしかない、勝って追いついて同じ景色を見るしかない』と、同じ高みにまで上り詰めれば彼らの偉大さの由縁が理解できるに違いない、という愚直なほどにまっすぐで純粋な信念を9人の眼前に突きつけたSaint Snowに、果南はかつての自分を見たようだというのである。なぜ果南はそう思ったのだろうか。

 

簡潔に言えば、Saint Snowの考えに対し“視野狭窄”を感じたことが原因だと考えられる。輝きへの道はただひとつしかないと決め込んで、その道標を先人が残した足跡にすぎない“勝利”のみに託しているSaint Snowは、「鞠莉は留学に行くべきだ」と親友の生き方をただひとつに定め、誰もまだその輪郭すら知らない“未来”だけに価値を置いていた2年前の果南とよく似ているのかもしれない。

 

1年生の果南の“視野狭窄”は、重なり合う2つの要素から構成される。3人でスクールアイドルを始めたばかりの果南は、μ'sの伝説と栄光に倣い「自分たちも学校を救う」という夢のような物語に目を輝かせていたわけだが、その結果として鞠莉には大切な将来があるということを失念してしまっていた。この「友達のことを考えてあげられなかった」という後悔がまずひとつとして挙げられる。そしてもうひとつは、“そう思い込んでしまったこと”それ自体だ。つまり、果南は「鞠莉には有望な未来があるんだから、この学校でスクールアイドルなんかやってる場合じゃない」と、その後悔が変貌して生まれた自分勝手な考えを振りかざし、ダイヤの夢を潰えさせてまで鞠莉を役立ちこそすれ本人の望まぬ留学に送り出したことで、2年間の長きにわたって軋轢を残すことになってしまった自身の行動を顧みているのである。鞠莉の将来に目を向けてあげられなかったこと、鞠莉の将来「だけ」に目を向けてしまったこと、そのどちらも今の果南にとっては自分の“視野狭窄”が生んだ過ちであり、Saint Snowに対し同族嫌悪にも似た感情を抱いてしまった理由となり得る。

鞠莉とのすれ違いを解消した現在の果南の心には、端緒を辿れば自分がμ'sの輝きや「学校を救う自分」への憧れに囚われてしまったことに起因する空白の2年間への回顧から、何かひとつのことだけに目を向けて自分の周りの大切な人たちとその想いを見失ってはいけないという自戒がしっかりと根付いている。だから、果南は12話で『追いかけちゃダメなんだよ。μ'sも、ラブライブも、輝きも』と言った千歌に『なんとなくわかる』と同意を示すことができたのである。このことは、もしかすると13話で『オーバーワークは禁物ですわ!』『by果南!』と、息を合わせて果南のアドバイスを口にしたダイヤと鞠莉の場面にも活きているのかもしれない。誰かひとりではなく、“全体”をよく見ながらメンバーを陰から支えるしっかり者のお姉さんとしての果南の姿は、これまでの諍いとそれに対する自省の中で重ねた成長に依るところもあるのだろうと想像できるワンシーンだ。

 

  • 9.おわりに

最後に結論を記す。

・「廃校を阻止したとしても鞠莉の将来の可能性が失われることに変わりはない」と気づいた時点で、2年前の果南にとってスクールアイドルは『続けても意味がない』活動となった

・技術面で挫折したわけではない1年生の果南はただ鞠莉の将来を最優先事項に据えていただけであり、スクールアイドルそのものには最初から肯定的だった

・“鞠莉の想い”を受け入れたことをきっかけに、果南は自身に眠るスクールアイドルへの夢を取り戻した

 

 

*1:「売り言葉に買い言葉」という状況は考えられるかもしれないが、『私は戻ってきてほしくなかった』『もう、あなたの顔見たくないの』と悲しげに語る果南に激情の色は見出し難い。

*2:淡島神社階段にて『まあ、がんばりなよ』

*3:千歌の回想内にて『練習、がんばってね』

*4:9話冒頭、『前にも言ったでしょ、その話は断ったって』という鞠莉の台詞からも、果南の口頭による説得が試みられていたことが垣間見える。

*5:一貫して鞠莉にネガティブな感情をぶつけ続けた果南のこうした意図は、3.で引用した諏訪さんの目に映る果南像からも読み取れる。果南が千歌たちを「表立って」応援できなかったのは、スクールアイドルに肯定的な自分の姿を鞠莉に見られるわけには行かなかったからだ。もし、果南はまだスクールアイドルに未練があると鞠莉に思われてしまったら、鞠莉のために『歌えなかった』ふりをしてきた自分の努力が水の泡となってしまう。

*6:この場面は諏訪さんが仄めかす「千歌たちを応援していた果南」が垣間見えた瞬間だが、果南はこれまでもそうであったように積極的な応援の意思を示したわけではないことに留意されたい。その理由は勿論、自分がスクールアイドルに肯定的であることを鞠莉に勘付かれてはならないからだ。それ以外には、自分たちとは違い大きな足枷もなく輝きを目指す千歌たちを応援したい気持ちはあれど、おそらく千歌からスクールアイドルという言葉を聞くたびに『千歌には関係ない』鞠莉との過去を思い出したり、Aqoursを捨てた自分にはもう関わりのない世界の話だという意識が先行したりしていたために、今までの果南はスクールアイドルと一定の距離を置いて接していたかった、という背景も考えられる。