New winding road

小原鞠莉ちゃんのソロ曲、New winding roadの話です。 

 

 

 

New winding roadラブライブ!サンシャイン!!ではおそらく初の、シンセサイザーのような電子音が使われていない、ギター・ベース・ドラムだけのシンプルなバンドサウンドで構成された歌だった。メタルやパンクを好む鞠莉の曲にしては、予想に反して些か抑えめなアグレッション。普段の彩りに溢れたAqoursの楽曲とはまた少し離れて、小原鞠莉の、鈴木愛奈の極彩色の歌声を最大限に引き立てるために、敢えて飾らないモノトーン風味のオケを用意したような印象があった。

 

曲を一聴して最初に込み上げてきたのは、言い知れぬ懐かしさだった。それがどこなのかもわからないまま、頭の中にただぼんやりと思い出される曖昧な景色があった。私の生まれた地に、海と呼べるような場所はない。それでも、ありもしない郷愁を覚えるほどに、記憶を揺らすメロディが胸を覆った。

 

バラッドは悠然と進む。

 

“海辺の風 また胸によみがえるよ”

 

瞬間、遠く離れた異国の街で、この歌を歌う鞠莉の姿が脳裏に浮かんだ。

それも、きっと海のない街で。

 

鞠莉が思い起こすのは、かつて幼い頃に親友たちと出会った海。月日が経ち、一度別れを告げてもなお変わらずに自分を見守り続けてくれた、内浦の海だ。大人になった鞠莉は故郷とは正反対の、潮風すら辿り着くことのない無味乾燥とした大地に立ち、この歌を想いながら、自分の愛した優しい海を瞼の裏に見ているんだと私には思えた。時間も距離も超えて、心だけはいつまでもふるさとの海の香りも空の色も覚えているからと、海が近くにない地だからこそ、却って鋭敏になる感覚があるんだろう。

 

そんなことを思いながら、私は3rdライブツアーに臨んだ。そして、この感傷が大きく間違っていたわけではないことを知る。

 

 

 

今回のツアーでは、各会場ごとに2日間に分けてそれぞれひとりひとりがソロの楽曲を歌唱した。リリースの遅かった鞠莉のターンは、2日目だった。

 

音圧の目立つ、太く芯の据えられたドラムが力強いビートを刻むイントロの中、鞠莉がステージに現れる。特殊なセットも何もないステージに設えられているのは、素朴なスタンドマイクだ。鈴木さんのインカムには、いつもあるはずのマイクがついていなかった。

 

Aメロを歌い出す。彼女は決して低音をなおざりにせず、広い会場全体に響かせるように、繊細に歌声を奏でていた。中央のスクリーンには、歌に合わせて歌詞が表示されていた。「みんなが大好きだっていう想いがほんとに込められてる曲」と語っていたように、歌とともに文字としても表現されていたことで、そのメッセージ性はとても強くなっていたように思う。

 

伸びやかなハイトーンにありったけの感情が込められたサビが、会場の広さに負けじと艶やかに歌い上げられた。マイクを手にした鞠莉は、想いを歌にすることで気持ちを確かなものにしていくように、一歩一歩前へと歩んでいく。

 

簡素なリフレインの後、2番へと移ったそのときだったと思う。

 

歌詞の表示されていたスクリーンから一切の色彩が失われ、打って変わって流れ始めたのは、まるで古びた写真のような、乾いたセピア調の映像だった。

 

これは鞠莉の思い出のフィルムなんだ、と直感した。彼女は今、遠く懐かしい日々を思い返している。

 

“海辺の風 また胸によみがえるよ”

“心はどんな時でも あの頃の空の色忘れはしない”

 

この歌を歌う鞠莉の目にはきっと、海は映っていない。故郷と繋がっている空も、今はかつてと異なる表情を見せていて、時間の流れまでは覆すことができない。それでも、過去を手繰りながら胸中に追想する景色がなお鮮やかなままであることを、海のような、空のような水色のライティングが雄弁に物語っていた。 

 

夕暮れを思わせる優しいストロークから、曲は一気に表情を変えていく。アコースティックな音色を両サイドに配し、混ざり合うようにどっしり構える歪みきった重厚なディストーション。何本もダビングされた豊かなギターサウンドが轟々と鳴り響く中、愛しい過去を想う慟哭のような、それでいてまだ見ぬ未来へ向けた決心のような、鞠莉の咆哮が天高く放たれる。

 

会場が揺れたような気がしたのは、私の足がふらついたからだった。ハンドマイクひとつで場を掌握する、鈴木さんの圧倒的な歌声に吸い寄せられるように、気づけば私の身体はグラリと持っていかれていた。ただ、震えるような感覚が全身を満たしていた。

 

 

 

鞠莉はまた、少しずつ前へと歩き出す様子を見せる。しかし、ゆっくりと進み始めたその瞬間、彼女は足を止めた。そして首を横に振って、身体をすっと後ろへ引いた。

 

一瞬の静寂が会場を包む。その無音を破るように、鈴木さんは再び顔を上げる。

 

 

 

“前を向いて 新しい場所へ歩いて”

 

 

 

世界に、色が戻った。

 

センタースクリーンは潤いを帯びて、「いま」を歌う鞠莉を瑞々しく描いていた。

 

ようやく、私は鞠莉の足取りを掴めたような気がした。

 

きっと、鞠莉は故郷の景色を想起しながら、過ぎ去った眩しさに半ば無意識に手を伸ばしていたんだろう。輝かしい日々を思い出すことで自分を奮い立たせているうちに、決して煌めきを失うことのないその青春にいつしか後ろ髪を引かれ、彼女は取るべき進路を間違えそうになっていた。

 

でも、その過ちに陥る直前に鞠莉は気づく。止まっていられないこと、それぞれの場所を探さなきゃいけないこと。ひとりで、歩き出さなきゃいけないこと。

 

ブレイク手前の鈴木さんの所作は、そうした鞠莉の決意を表現していたように感じられた。その瞬間、色褪せた世界に光が帰ってきたことも、彼女の見つめる先が内側に抱く過去から外側に広がる現在へと変わったことを示しているんじゃないかと、鞠莉の心が太陽のある方角へと向き直ったんじゃないかと、そう思えた。

 

“まぶしい光 探しに行こう”

 

みんなで掴んだあのときの輝きと同じものじゃない、自分だけの新しい明日を手に入れるために、先の見えない曲がりくねった道へと一歩を踏み出す鞠莉が、私にはとても眩しかった。

 

 

 

歌い終えた後、にっこりと微笑む鈴木さんの口の動きは確かに“ありがとう”と伝えていた。マイクを通していないから、その声が誰かに聞こえることはない。だからこそそれはまるで、遥かな誓いだった。離れ離れになった仲間たちへ、それぞれの道の先でいつかまた会えることを知っている仲間たちへ、鞠莉は届くはずのない感謝を告げる。

 

私は果南とダイヤに会って、いろんなことを教わったよ。世界が広いこと、友達といると時間が経つのも忘れるほど楽しいこと。喧嘩の仕方に、仲直りの仕方。2人が外に連れ出してくれなかったら、私はまだひとつも知らないままだった。

 

狭かった鞠莉の世界は、幼馴染の2人の手が毎日のように拡げていった。そして 「今はもう3人じゃない」という果南の言葉どおり、新しい6人の友達が出来た彼女の世界は、無謀な物語を果たすまでに大きくなった。だからきっと、何も知らなかった自分をここまで連れてきてくれたことへ、ここからさらにその先へと自分の力だけで歩いていく強さを与えてくれたことへ、鞠莉は心から“ありがとう”と伝えたんじゃないかと思う。もう大丈夫、ひとりでも頑張れるからと、どこにいても繋がっているただひとつだけの空に向けて約束をしたんだと、そんな気がした。

 

 

 

New winding roadについて、鈴木さんは「私自身と鞠莉と結構重なる部分とかこの曲はあったりするから、それを思う存分発揮できる、出せる曲なんじゃないかなって思います」と話していた。その思いの一欠片はもしかしたら、海を超えた先の北海道で生まれ育った鈴木さんだからこそ共有することができた、同じ望郷の念なのかもしれない。ずっと向こうにあるふるさとを偲ぶこの歌は、鈴木さんにとっては親近感の湧くノスタルジアに聴こえたのかなと思いつつ、私はそれ以上に鈴木さんと鞠莉の、仲間への愛と感謝の気持ちがとても重なり合っていたように感じた。

 

鈴木さんはずっと、9人の絆をとりわけ大切にしていた。2016年の夏ごろには既に「お互いをよく知って絆を深めることはパフォーマンスにも繋がる」と語っていて、ラブライブ!ならではの魅力を元々よく知っている人だなと思ったのを記憶している。今年のインタビューでは「歌も歌いたかったし、切磋琢磨する仲間も欲しかったし、それを全部叶えてくれたのが『ラブライブ!』です」と言い、Aqoursは自分にとっての「夢」だと答えていた。8人の仲間がいなくては、鈴木さんはラブライブ!を生きる中で夢を叶えることができないんだろう。振り返れば、初めてのAqoursファンミーティングツアーの最終公演で、足の負傷からパフォーマンスをすることができなかった鈴木さんを裏で支えていたのも、当然Aqoursの8人だった。「泣いてる暇はないよ、君には前説があるんだ」と鼓舞したり、「メイクが崩れちゃうよ」と心配したり、Landing action Yeah!!のイントロが流れる中、袖から見つめている鈴木さんの傍に近寄ってステージへと出ていくその直前まで元気づけようとしたり、それぞれのメンバーがそれぞれの形で彼女を励ましていた。そのときの鈴木さんの気持ちを私が知ることはできないけど、それでもイベント終演後のツイートからは、メンバーへの大きな感謝を充分に推し量ることができると思う。

 

分かりきっていることだけど、鞠莉はもちろんAqoursを強く愛している。でも、鈴木さんもそんな鞠莉に負けないくらい、Aqoursが大好きなんだと思う。1stライブから1年の節目にも「メンバーへの愛情はすごく大きくなりました」と話していた鈴木さんは、鞠莉と同じようにメンバー8人を想うその気持ちにおいて、「みんなが大好きだっていう想いがほんとに込められてる」New winding roadを歌う彼女に深く共感できたんだろう。

 

 

 

6公演目、千穐楽の福岡2日目だけは最後の“ありがとう”の形が少し変わっていた。これまでと同じように、マイクを離してから鈴木さんは口を開く。

 

“ありがとう、みんな”

 

声のない感謝を伝える先に、初めて当てられたスポットライト。“みんな”はもちろんメンバーを指していると私は思っていたけど、でもそれだけじゃなかった。

 

「みんなにたくさんありがとうの気持ちを込めて歌いました!届いたかな?」

 

最後の挨拶のとき、鈴木さんはそう言った。その問いを投げかけられたのは、ライブの場にいたすべての人々。メンバーはもちろん、ともにライブを作り上げていたスタッフの方々に、観客である私たち。肯定の歓声が大きくなるほどに、「みんな」という代名詞の輪郭は明瞭になっていく。8人のメンバーに向けられていたはずの感謝は、気づけば想い切れないほどにたくさんの人々をその射程に捉えていた。ツアーの中で一緒に同じ時間を過ごしてきたメンバーと鞠莉と、ここまでサポートし続けてくれたスタッフさんたち、そして最終地点まで追いかけてきたファンへの気持ちすべてが“ありがとう、みんな”に込められていたんだと、そのときに私はやっと思い知った。

 

いつも支えてくれてありがとう、一緒にシャイニーしてくれてありがとう。たぶん普段から感じてくれているそんな気持ちを、鈴木さんは歌とともに届けてくれたんだろう。アニメの物語に存在しないはずの人々へのその想いは、小原鞠莉としてというよりは純粋に鈴木愛奈自身に根ざす気持ちだったような気がした。思えば、幕張イベントホールを埋め尽くした紫の光の温かさに深く感じ入っていた鈴木さんは、その優しさに触れられてすごくありがたかったと語っていたことがあった。奇しくも劇中の鞠莉も足を怪我していたことがあったけど、それでもそのストーリーは確かに鞠莉とは切り離されている。そこには「鈴木愛奈」というひとりの役者に向けられた、オリジナルの想いの形があった。

 

今回、ソロ曲の演出はキャストそれぞれがやりたいことをやっていいと言われていたらしい。キャストはいろいろとアイデアを求められたみたいだけど、そうだとすれば、もしかしたら鞠莉の“ありがとう”も鈴木さんの発案なのかもしれない。鈴木さんは鞠莉の気持ちを自分がちゃんと表現できているか不安になるくらい、常に彼女を理解することに身を捧げている。劇中で描かれることのなかった、自分の知り得ない鞠莉たちの日常に思いを巡らせ、彼女の思い出のひとつひとつに触れられないことへのもどかしさや苦しさを感じることができる人。鞠莉とは違う人間だからこそ、鞠莉の気持ちを考えるときには自分の考えもそこに沿わせていく。かつて自分たちを「小原鞠莉“&”鈴木愛奈」とも表現していた鈴木さんは、実際のステージではラブライブ!サンシャイン!!のいちばんのファンでありたいと願った。だから最後に“ありがとう、みんな”と伝えてくれたのは、いつも鞠莉に寄り添っている彼女が、おそらく鞠莉の想いとは別に自分自身の想いも込めて、私たちに感謝の気持ちを届けてくれたんだろうと思う。New winding roadの通ずる先は、手を繋いで隣に並び立つ2人がそれぞれに想う“みんな”へと続いていた。きっと、鈴木さんはこの曲を“鞠莉と一緒に”歌い上げてくれたんだ、と気がついた。

 

 

 

「歌は私の人生を導いてくれました」と、インタビューで話していた鈴木さん。その言葉に秘めた、歌に懸ける気持ちの重みがどれほどなのかは、決して私に理解できるものじゃないと思います。それでも、いつかたったひとりの「鈴木愛奈」としての歌が聴きたいと切に願うほど、圧巻のステージでした。鈴木さんの歌声には、いくら文字を書き連ねても足りないような、言葉を超えた気持ちがたくさん詰まっていた気がしています。またひとつ、心に残る大切な思い出ができました。